2012年10月4日木曜日

rock



一年前、
仙台に行く前に書き記したやつに、
応えを書きにきた。

したら、消えてた。
水性ペンだったからだな。

「書きにいかなきゃ」とか、
「まだいけない」とか、
勝手に一人で悩んでたのに!


わかったよ、あちこち好き勝手ぐるぐるまわってやるよ。

そんときそんとき、そこかしこずかずかと踏みつけてってやる。

足跡が、踊りださずにいられないくらい!

ついてきたらこっちのもんだ



そう思ってたらthe BeatlesのWhite albumが流れてきやがって

浪人のときずっと聴いてた

でもこれは思い出じゃない

今、心に撃ってくるから

やりたい放題のアルバム

それでいい、結果そうなってる。


janisをリクエストした。

彼女の声を聴くと、そのときそのときを絞り切らないと、って思う

絞り切って、伝えきらないと



で、一年ぶりに壁に書きつけてやった

今度はちゃんと白い修正ペンでしっかりとね!

なんて書いたかはもちろん秘密ですw

期待するんじゃなく

すがるんじゃなく

何書いても嘘っぽくなるから、

自分にしかわかんない記号みたいなのになった

いや、自分でもよくわかんないw

ただしっかりと書きつけてやった!


なんだろう、そしたら、でてくる気持ちは感謝なんだよね

おもしろいもんだね。


基本的にタバコはやめてるけど今日は間違いなく節目だから

あと、吸う時はちゃんと自分で買って吸う

もらいタバコはやめることにするw




2012年9月12日水曜日

祝!友合格!

!!!!!!友!!!!!!
 
!!!!!!!合格!!!!!!!
!!!!!!しかも二人!!!!!!
 
テンションが下がらないので、ひたすら楽しい曲をupし続けてみる!
 
 
 
思えば大学入ったころから勉強していたね!

サークルをはさんで、なおずっと、、、8年目?!
 
 
 
すごい!!!!
一人とは昨日前夜祭ってことで、仲間で集まって飲んでたんだけど、
ずっと12時間くらい勉強してたって。
すごい!!!!
 
 
一年前ぶりにあって。
試験は一年に一回のチャンス! 
 
 
 
こっちまでプレッシャー伝わってきたよ!
 
 
 
 
今頃祝杯でべろべろになっていることでしょう!!うえーい!
 
 
 
 
今度同期みんなで集まって、夜通し乾杯しよう!!!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これから、彼らにはどんな未来が待ってるのか!
波乱万丈か!
順風満帆か!
これからも困難が続くのか!
エキサイティングな気がしてなりません!
 
 
 
 
 
初めて出会ったのはどうやら7?8?年前とからしいのですが、
あっという間にぶおーっという勢いで人生は過ぎていきますね…!
 
 
 
 
 
 
 
どちらにしても、みんなこれからも仲良く、
上向いて、それぞれが進んでいけたらいいよね!
よし!
 
 
 
 

2012年8月18日土曜日

東京、大都会ど真ん中、

、でも寝っ転がって広い空、

芝生の上に美術館でいただいた展示案内の紙を、

紙の上に近くのパン屋で買ったパンとコンビニで買った缶ビールを、

それをはさんでどっこらしょ、と、

乾杯!(カンッ)

一等星が曇り空を、かきわけ力強く



向こうの方で子供と犬が散歩、


子供が走り回って遊んでるのをみるとほっとするな、って

でもな、将来ここで育った子供はどうなるんやろね、
野山を見ないで育つとどうなるんやろうね、って

固めのパンをかじりかじり心の友が言いました


いやいや、ここにもでっかい山があるじゃん、

って、僕は目の前のでっかい高級レジデンスを指差して言いました

たしかに、
…うんたしかに。

心の友はイエスともノーともなく相槌をうちました


子供と、お父さんとお母さんと、犬。



「電車でな。
 向かいに座っとるくたびれたサラリーマンのおっちゃん、薬指に指輪しとってな。
 それ見て、ああ、この人は、もう、手に入れてるんやな。って。すごいなあ、って。」

「誰でもいいとかそういうことやないけど、けどな。」


結婚とか。家族とか。

「白馬の王子様は、いたとしても飽きるわw
 毎日おるな、帰れ、とw」

「まだ出会ってないかもしれんし、もう出会った中にいるかもしれんしな、わからんな。
 誰なんやろ。」





君と~出会えた~それが奇跡~♪
とかは「はぁ。」て感じでピンとこぬのだけれど、

偶然が折り重なって必然になるまでにある、意識か無意識か視線を通わせる瞬間

一期一会


「またここにきてパンとビールやろうな」と言い合って、友は帰るところに帰っていきました

2012年7月16日月曜日

メモ

確か、勉強の休憩中に、facebookのフィードにボランティア募集が流れてるのを見たのが最初。

「社会貢献とclub musicを掛け合わせて・・・」
一時間どうするか悩んで、参加ボタンを押して。
最初の顔あわせが5月頭。そっから2カ月かー。


取材記事を2つ書きました。
http://somode.info/report/archives/339
http://somode.info/report/archives/508

んで、こんなイベントを昨日やりました。
http://somode.info/scfb3/index.html

どんだけの人と話して、どんだけの人の考えにふれて、どんだけの人の力を借りて。


 悩んで走って怒って笑って、、、、とかいう青春話をするつもりはないよー、てか、

正直、力不足だったし消化不良も。泣いて抱き合うとかもなく。
 

ただ、一緒になにかをつくるってのはやっぱすげーおもしろいし、支えてくれたいろんな人への感謝はずっしり残ってる。
申し訳ないという気持ちと、ありがたい、という気持ち。が、混ざったような、なんかもやもやした幸福感。


イベントってかプロジェクトが好きなのは、俺はコミュ力が乏しくてテーマがないとしゃべれないから。

一緒につくるものがあると、全く性格趣味嗜好が違ってもいいし、違う方がよかったりもする。
目指すものが一致してればかみ合う。


団体行動が苦手、日常会話が苦手なので、こういう空気がとても心地いいんだろ。




今回、みんな各々の生活の隙間時間で動いてたから、さける労力とかモチベとかもバラバラで、マネジメント(っていうの?)がすごい難しかったと思う。

 何を何のためにやっているのか、そのへんから曖昧で。
でも、高校生から社会人まで、幅広い層のメンバーでつくっていけたのは、なにげおもしろいことだったと。
人間としての器が丸裸なんすよ。属性もなにもかも違う集団なので。
共通項がないから、「俺は俺」ってのが隠しようもなく。できることはできる。できないことはできない。

俺より5個下の子でも、俺よりできることは、もう、とってもできる。
だからそこはもうお願いする。強がる意味もないし必要もない。

逆に、この中のメンバーで俺が一番できるだろうこと、俺がやったほうがグループとして前に進むだろうことは、俺が率先して、やる。

そういうのを少し客観的に考えたりもするようになりました。

こうやって、いろんな人が、力を出し合って、善意と厚意でつくったイベント、形をなして、来場者に新しい何かを提供する。


やっぱり結構感動ものですねー


自分はといえば、コミュ力レベル1の俺がなぜか渉外的なことをしてて、いろいろ連絡意志疎通に支障をきてしてしまったのが申し訳なく。

でもDJさんとか、団体さんとか、みなさん驚くほど協力的で。(代表の人脈の強さによるところも大きいけど)



とにかく、いろんな人に助けられました。
いろんな人と会って、新しいわくわくをもらいました。
いろんな人が来てくれて、楽しんでってくれました。


よかったよかった。



一区切りしたからきちんと書いとこうと思ったけど、まったく文章浮かんでこないし、とりとめなく、適当なメモみたいになってしまったけど、とくにとりまとめることもせず。
まいいか。とりあえずのメモ。


イベント準備がだいたい1カ月かな、うん、とっても、楽しかった。

思いやりの力とわくわくの力は世界共通言語なんかな、
と思いました。

というわけで、辞表だして半年がちょうどたちました。

ゴトーは今、例えば、こんな感じのこともしつつ、元気にやってますよ!(いや、説明になってない)


つうか、劇つくりてえな。

2012年5月19日土曜日

いちおし馴染めるカフェとか6選

最近カフェに足しげく通っていたので、6つおススメしてみますw


 1.Karly Scrum 池袋
http://karlyscrum.com/index.html


池袋の西口から少し入った住宅街。
道路から奥まったところにあるマンション入り口のガラス戸開けて、郵便受けの横を抜けて、階段を下りていく。
あやしい。
その先に、、
いわゆる隠れ家アートギャラリーカフェがありました。
カフェというよりDinig & Barかな?


15時からはHappy Hourとかいって、ピザと1ドリンクで600円!!
「大丈夫ですか?!」って聞いてみたら、笑顔で「大丈夫です(^^)」って。
カフェの代表さんがそもそも絵描きさんで、アーティストが気軽にカフェに作品展示できるようにしたいなってことで開いたんだって。
よくイベントもやってる。ライブとか。占星術ナイトとか。お笑いとか。
今度22日のアーティスト(とそうでない人)交流会もあるよ。俺は(そうでない人として)行くよ。いかない?そうでない人。そうである人も行こう。

もともと、 地元志向のフレンチ屋さんだったんだって。どおりで広々してて落ち着いた空間。アートセンス発揮したいデートとかに使っちゃって。


2.FREE FACTORY 下北沢
http://www.a-works.gr.jp/freefactory/

これあれです、言わずと知れた、高橋歩さん。あの旅人の。
彼の出版会社A-worksが手掛けるCafe & barです。
店内には彼の本もずらり。高校生の時に読みましたよ。読んで、例にもれず、感激して身震いしたものです。
「空は、繋がっている…!」とね。

店内はもう自由な空気満載、こちらもアートギャラリー可、イベント可。ヒッピー的なシャレオツ空間で、オシャレヒッピー的男子がいて、もうたじたじでしたが、一段上がった半個室空間に、蜷川幸雄の本とか井上雄彦さんの画集とか「あーこれこれ」って本がきっちりセレクトされて置いてて、にんまりしました。

A-worksに合わせてOn the roadっていうNPOの事務局も上の階にあります。インドに学校作って旅人を先生にするプロジェクト、宮城支援、福島支援、ジャマイカに音楽学校つくったり。やってることがぶっとんでてあったかい、もう高橋さんの本で読んだ感じそのまま。さすが。
https://otr.or.jp/
A-works主催の「旅祭」(6月3日)ってフェス、豪華ゲストで面白そうだよ、行こうよ!
(ところで野口健さんってアーティストなの?)
http://www.tabimatsuri.com/


3.Zizi Annabelle 西荻窪
http://www.ziziannabelle.com/

 スナックとかが入ったビルの2階、きさくで優しいなおこさんのcafe & bar。ここにはギターもベースもドラムもピアノだってあります。勝手に弾いちゃってどうぞ。

集まって、適当に、知らない人と、セッションをしちゃうような。マジカル。

「縁を大事に、人を大事に。愛される箱にしたい。」
なおこさんはそう申しておりました。

若者バンドマンたちが、足しげく通い、open一年たつ今、リピーターも増え、いろんな音楽仲間に愛される場になっているようです。
 メニュー表は一応ありますけど、なおこさんの気分でいろいろごはんつくってくれる。うまい。お母さんじゃん。あ、お母さんか。


4.AWOBAR 千駄木
http://www.facebook.com/awobar

谷中銀座ってすごいんですよ。弁当大ボリュームで300円なの!!見てて飽きないっす。その谷中銀座から少し脇にそれて、すずらん通りというとこをひゅひゅっと中に入っていくと、あります。awobar。barです。

木村カエラがかかってます。でもなにより、無料でギャラリー展示できるんです。右の写真はライブペイント展示。実は、このとき店内一面、スケッチの紙がぺたぺた四方八方貼られていて、それはもう爽快というか、ひとつの世界でした。barくらいの空間でギャラリー展示すると、囲まれる感全開でいいですよ。
マスターはもともとここのお客だったんだって。で、足しげく通って、ここやりたいっすねえ~とか言っていて、その時のマスターも、任せたいねえ~とか言っていて、そしたら実際にそんなことになっちゃったんだって。ざっくり言うと。すごいですよね。
マスターがそういうのしたいって言って始めたバーなので、本当です。
おススメしたいところですが、8月25日まで既に展示予約入ってしまっているんだって…!申し込みたい方は8月26日以降に展示しちゃいましょう!


5.TOWN DESIGN CAFE 表参道
http://www.towndesigncafe.com/

表参道ヒルズの向かいらへん。一本脇道に入るとすぐあります。シェアサイクルなんておいてあります。
ここ、街づくりのコンサルをされているクオルさんという会社が運営しています。

キーワードは街づくり、地域振興・・ということで、ここはワークショップ専門のカフェ、といっても過言でないほど、ワークショップをしやすい環境が整っています。
平日1時間500円(1ドリンク付き)とか、
無線LAN、プロジェクター、ホワイドボード完備(無料)とか、
手荷物用鍵付きロッカーとか。
あとはシェルフショップって言って、棚貸ししてます。月5000円払えば、自分の商品を棚に置けて、売上はまるまる回収できる。
コミュニティカフェって、カフェとは名ばかりの、会議室ってイメージあったけど、ここは普通に雰囲気いい感じだよ。上の写真の奥に見えるのは、表参道周辺のでっかい地図に、ぺたぺたtwitterのつぶやき的に紙を貼ってんの。てか、リアルfoursquareて感じか。いいよね、こういうの。どんどん人のあたたかみが増してくね。是非ワークショップで使いたいです。もちろん、アートギャラリーも可。


ええと。。
自分お手伝いしてるとこ、ちょっと宣伝させてください(汗)

というのもさ、上にあげたとこってギャラリー可、イベントはもちろんワークショップも可とか、すごく自由度の高い店が多くて、、うちだって、できるよ!って言いたくなりましたw

6.off,cafe 自由が丘
http://on-to-off.com/offcafe/

というわけで、すごくゆったりとしていて、自分との時間、もしくは大切な人との時間を、ゆっくり大事にできる空間です。
イベントとかワークショップを柔軟に対応しますよ、と。アートギャラリーも展開予定ですよ、と。
31日にjazz liveありますよ、と。

友達がきても、結構みんないいね、って言ってくれるし、いいとおもうよ!ごはんもうまいよ!
ごひいきにしてくださいね。



まとめ

これからは、「なんかよくわからんけどおしゃれっぽい」ってだけだと、生き残るの大変だと思います。だって、レベルめちゃめちゃ高いもん。どこもかしこも、シャレオツオツオツ…。
しかもググればそういうの一発。まとめとかあるし。やばいぜ。

もうデザインのセンスだけで差別化なんてできません。一回行って、「シャレオツ!」って思ってくれても、また次のシャレオツに行っちゃうよ。ググって。

だからね、そうでないとしたら、
オーナーさんやマスターさんが素敵な方だったり、愛着のもてるものがあったり、自分の足跡を残せたり、それでいて閉鎖的でなく誰でも立ち寄れて、イベントとかワークショップとかも行われて、リピーターができてきて。
その場の中でいろんな人が集まって、いろんなものが生まれていく、そんな有機的な繋がりが自然と生まれるカフェが、生き残っていくんじゃあないか、と。


今日あげたとこは、どこも本当におススメですよ。是非お時間のあるとき、お近く寄ったときに、立ち寄ってみてね~(^^)

2012年5月9日水曜日

寄付ってキャッシュバック(?)があるんですよー

僕が税理士を目指している理由の一つにNPO支援があります。
NPOに寄付をするとキャッシュバックが戻ってくるんだけど、その制度を利用するにあたりいろいろ問題があって、、というお話です。
長いし、まず面白くはないです。

前勉強したのに忘れちゃってたから備忘録として書きます。
別に税金の知識はまだ皆無だし、間違ってたらごめんなさい。
もしNPOとか寄付とかに興味があったら、少しだけでも読んでいただけると嬉しいです。



[前置き]
NPO法人ならではのメリットとして税制優遇があります。
(それが、法人をつくるときに株式会社でなくNPO法人を選択する大きな理由の一つになるのですが、)
その税制優遇をいちいち整理・処理するのが実務レベルで結構めんどくさいというか複雑でわかりにくいので、税金対策の手間を減らし、優遇を最大限活用するためのサポートをするNPO専門の税理士って必要なんじゃないかなーと思ったというわけです。
これからばんばん需要も供給も両方NPOは増えてくると思うのですが、お財布状況が苦しいところが多いので。。。

ちなみに、NPO法人(特定非営利活動法人)だからといって、全然稼いでもいいんですよ!
僕も知らなかったんですが、アメリカでは日本円で1000万もらってるNPOの方とか普通にいるみたいです。利益を配当しちゃいけないだけで、NPOだって、人件費とか管理費とかはもちろん必要。
寄付金からもそういう費用にあててしかるべき。運営できなきゃやっていけないですからね。
(アメリカ人って収入の1割をなんかしらの寄付にあてているという、驚愕の文化背景も反映されてるんでしょうね。)

NPOと株式会社の大きな違いとして、
「非収益事業に関しては法人税が原則非課税」(収益事業に対してはNPOであっても課税されちゃいます)ってのがひとつ、
あと、寄付金控除ってのがあります!今回の本題です。






[本題]
 国や地方自治体、公益社団法人とか、NPO法人に対して個人が寄付をすると、確定申告を経て、一定割合キャッシュバックされるんです!

今まではその額がたいしたことない、しょぼい制度だったんですが、、、
今年4月からパワーアップした「新寄付税制」がスタートしました!
これによると、「認定NPO法人」に対して個人が寄付をすると、最大半分弱(計算方法めんどいので、かなりざっくり言っています)、キャッシュバックされます。

半分弱戻ってくるって聞くと、すごいですよね!

「認定NPO法人」ってのは、NPO法人の進化版です。
一定の成果をだして条件をクリアすると、進化できます。

つまり、NPOとしては、認定とると寄付してもらいやすい!
 寄付分化の薄い日本において、敷居を低くする絶好の武器です。

寄付した分税金免除ってことはいいかえると、
寄付する側としては、国に納めるか、自分が好きなNPO法人等におさめるか、自分で選択(投票)できるってことです。
社会問題が多すぎ待ったなし、行政がアップアップしてる今、民間(NPOなど)が行政の代替機能をはたしていけたらいいよねってことで、認定NPO法人どんどん増えればいいよねって話です。

「国に納めても、何に使われるかわかんない。だったら、自分が信用できる団体に、使ってもらおうじゃないか」という選択肢を、国自身が与えている。
国として、「もう自分だけじゃとても面倒見切れる時代じゃありません、キャパオーバーだよ!」という判断をしているわけですね。とっても合理的だし、かなりNPO側の尽力もあったというお話。

 
ちなみに認定NPO法人に寄付をした場合の税制優遇は全部で3つあります。
①個人が寄付した場合、最大半分くらい税額控除(上記のやつ)
②法人が寄付した場合、損金算入できる限度額が拡大
③相続人が相続財産を寄付した場合、全額(!)非課税

あとは、認定NPO法人自身にも優遇措置があり、
収益事業の利益を非収益事業の費用に使った場合、その分を一定範囲損金算入できます。

さて、その認定をとるのがこれまたハードルが高くて、いろいろと条件があるんですが、
ざっくりいうと、
「3000円以上の寄付者が年平均100人以上」
これをクリアできるかどうかが分かれ目っぽいです。
認定がはれてとれても、これをずっと続けていかないと、認定はく奪です。厳しい。。

なので、もしNPOに寄付をすることがあれば、「3000円」がカギです。
1000円も嬉しいですが、3000円は、1000円の3倍以上の喜びを与える、ということを、
是非知っておいてくださいw
1000円を3回に分けてもOKです。1年以内に、合計3000円以上になってれば1人にカウントされます。でも、6000円払っても、1人は1人です。



なにはともあれ、寄付めんどくさいんすよね。手続きが。寄付募るったって、「いいなーちょっと援助しよかな」と思っても、
わざわざ連絡とって、んで
「郵便為替で送ってください」とか言われると、
「じゃ、また今度」
てなっちゃう。
だからクラウドファンディングが絶好調なのはすごいことだし、つくってる人は尊敬の嵐。
でも、自分の周りに限定すると、やってる人少ない。時間の問題なんだろか。どうなのか。
マジョリティに浸透させるには。

寄付のイメージの改善が先なのか、
浸透すればイメージが改善するのか、
いや、両方か。

キャッシュバックにしても、領収書とっといて、確定申告で、って言われても、数千円出して、ちょぺっとしか返ってこない金額のために、手続きの手間の割が合わないって感じちゃう。
寄付を募る側もこれをきちんと訴求しようとしてる人あんまり見ないし。
言うだけでも違うとおもうんだよな。
「確定申告でちゃんとやれば、半分弱戻ってきますからね」って伝えるだけでも。

もっと積極的に活用できるようにするのが今後の課題なのかなー。
現実的な手間の面。クラウドファンディングも、ここんとこも絡めていけたら、より魅力的なサービスになるんかな。 どうだろか。

とにもかくにも、クラウドファンディングとNPOは相性ばっちりだから、どんどん使っていけばいいなあ。


(どんどん話がずれてくけど、)

寄付、、
思い入れがあればするけどさ。
寄付する先の顔が見えて、何に使われるかわかるってのが重要だけど、
あとは、単純にもっともっと敷居を低くなればいいよね。

思い入れのある人はもう十分やってるし。
だから、マジョリティの人達の敷居を下げることが重要。
寄付って名前がもうやだよね。社会貢献とかの響きもそう。
日本人的な感覚だと、抵抗が強い人多いよね。
「俺私いいことしてますキリッドヤッ」みたいな。
(実際に動いてる人は、
そういうキリドヤは少なくて、やりたいからやってるだけ、みたいな気はするけど。)

「友達を手伝う」くらいの感覚まで気軽になればいいし、
ファッションとかノリでお金だすくらいのカジュアルさが欲しい。
いちいち、「いいことしなきゃ」とか意識しなくてもいいくらい生活に溶け込んでほしい。
身構えないと出せないような雰囲気だと、寄付は継続的長期的に根付くことはないと思う。
日本のマジョリティの中には、神様はいないわけですからね。

繰り返しになるけど、
「知らない」ことと、「寄付に対して心理的・物理的敷居が高い」ことがマジョリティが寄付しない理由。
マジョリティの中では、人格性とかは一切関係ないと思う。(誰に言われるでも機会があったわけでもないのに人格性だけで動けた人がマイノリティ。)
情報量が増えて、クラウドファンディングの開拓者の方々のおかげで、徐々に寄付する機会は増えてきたのかな。 あとは日常に溶け込ませること。

だから、カフェのメニュー表にファッショナブル・しゃれおつな感じでフレンドリーに寄付するメニューが自然に入ってる、そんな世の中がいいのかなと思うわけです。マジョリティの人間を動かすには、日常的に、五感で触れる場所で触れさせるのがいいと思うし。



長くなりました。話それすぎ。
無理やり戻すと、今は新寄付税制っていういい制度ができたのに、知られてもいないし、なんか小難しくて結局どうすればよいのかよくわからんぞ、というのが課題、てことでしょうか。

知識も付け焼刃ですのでつっこみどころ満載かとも思いますが、
読んでくれたのでしたらありがとうございますm(__)m


ちょっとずつ、勉強しつつ、深堀できていければと思います。ご意見等、あればじゃんじゃん言ってくださいm(__)m

2012年5月4日金曜日

ARABIAのムーミンマグ

ARABIAって食器が好きです。

フィンランドの食器。

そのARABIAに、ムーミンのマグカップシリーズがあってね。
いろんなキャラクターが、いくつあるんだろ、20くらい?結構あって。

夢の一つがね、そのマグを全部買うことなんだけど、
これがなかなか増えない。

ムーミンのマグを買うには、理由が必要なんす。
どれもこれも、
ああこのマグはあいつだ
とか、
あ、これはあの子かなあ
とか、
マグがどれも濃すぎて、人とリンクしちゃう。

そんなん、買って、うちに置けるわけないでしょ!

というわけで、
今うちには、にょろにょろがあります。



俺はにょろにょろでいいやと思ったから。
いいでしょ、にょろにょろしてて。悪い気しないでしょ。


ええと、どうすればコンプリートできるんだ?!
誰かと結びついたうえで、かつ、うちにおいとける、合理的な落とし所は?!

例えば、家族にあてこんで、パパとママを買う。ここまではよし。

その先は?!
うーん。

たぶん、
いろんな例があって、どれも個別で理由は違うけど、
誰かとの、何らかの、交わるタイミングのしるしみたいなものになるのかな。

そんな乱暴きままなタイミングで律義にARABIAに行ってマグ買えるともおもわんし、
別にいつか揃ったらいいなと思ってるだけで、
血眼になって集めようと力んでいるわけでもないから、
そりゃなかなか集まらんのだけど、


やっぱり、まあ、いつかは。

なんでかって、まあ、ね。

いいじゃないすか。なんか。楽しいじゃんすか。



そこに理由はない!(かっこついてもいないしおちてもいない)

でも全部揃えられたら、俺の人生たぶん幸せ。

おわり。

2012年4月26日木曜日

バナナとおじさん

渋谷のbook1stの前に、バナナの自販機があってさ、
バナナがパック詰めで売ってんの。
Doleの。
房になってて。

それをさ、見てたの。
おじさんが。
じぃっと。
じぃ~っと見てて。

え、何見てんだろっ、て二度見したけど、やっぱりバナナを見てるの。

どれ選んでも、バナナなのに。
 
おじさんが、
何考えてたか、とかわかんないけど。
俺はバナナしか売ってない自販機を目の前にして悩んだことないからさ。

そんな発想はねえよ。

おじさんの行動とか、考えとか、そういうの、やっぱ俺じゃねえんだよって、
あたりまえだけどw
でもそんな感覚。

おじさんと俺の接点ってあったのかな。
もしか、ね。
おじさん、今なにしてんだろ。
俺とあのおじさんが出会うこととか、あるのかな。
「バナナ、見てましたよね?」
ってw

もう顔も覚えてないけどね。



(あいつ、今何してんだろ)
ってよぎるけど、もう二度と会わないのかもなあなんて
ごくごく普通に思考してる
携帯にメールしてみると、エラー返ってきたりね
それでも、
(ま、そっか)
くらい。
もう会わなかったら会わないだし
会うときは会うし

好きとか嫌いとかそういうんじゃなくさ

大事な人は、以後会おうが会わまいが、
ずっとじわじわ影響与えてんだって
それでいいしそういうもんだと思う

影響もらって今もじわじわきてる人数えてみたら、指の数じゃたんなくてやめた

(俺は死んだ後も孫に影響をじわじわ与えるじじいになりたい)


今まさに今、
みんな好き勝手歩いてんだからね、
「こっちむけよオラ」って足踏んづけるなんて、恐れ多くて!


 だから
「おっあなたもあっち走ってんすか、奇遇ですねえ」
って一緒に走れるとかすごいことだと思うし
んでドリンクとか一緒に飲んだりさ

すると
お互いに手広げて「会いたい!」ってぶつかるとかやべーし
どーん
億千万分の一の確率だし


(つーかそういう電波を実際につなげうるfacebookとかってすげーまじ電波)

会うかな~と思ったらニアミスとか、かすって離れちゃったりとか、
しても、またお互いぐるっと一周してまた会えばいいじゃんか
会えなかったら会えなかったでそれまで!(ちーん)
会えたときのほくほくがやばいと思うぜし



みんな好きに歩いてる
お、お、ねえねえあっち楽しそうだから行ってみようよ~
くらいに袖ひっぱって、
まんざらでもねえ、って顔されてえな
もちろん行った先では自由行動ですがね!!ぐへへ!

筋トレして靴買おうかね。

2012年4月8日日曜日

言葉

「ごとうくん、もう自分のことフリーターっていっちゃだめ」

「暗中模索」
「私も」

涙と
怒ったような
声が震えてた
ずっと居た
今まで知らないところへ
行く

「同じなのよ」
うんじゅうねん
生まれた「時」「点」のまえうしろは
壁もなく
遠くでもなく
ただ
まえの人が
先に死ぬ

走り泳ぎ止まり
「また来いよな」
思い思いにまわる

視線のつばぜり合い
何億光年の時空を錯綜する
こことそこで
それとあれが
散った火花のプリズムスペクタクル

眩しすぎて目を伏せて


30年後どこに誰といんの
今「まだいない」誰かと同じとこで
「じゃ、。また。」「うん、。また。」
と言ってるかもわからんし
そのとき「もういない」誰かが刻んだ刹那を
ぽつぽつと辿っているかも



「わからない」

名前も顔も
言葉も年も性別も
地球人だって宇宙人だって

一人はさびしいし
知らないとこは怖い
いつか死ぬ
あと、コーヒーが好き(もしくは嫌い)
「何考えてんの」
「自分でも触れちゃいけないような気がする」
じゃあ触れなくたっていい



10年顔あわせてたって、だよ、
「おまえのそんな顔、初めてだな」
俺にとってね




「おめでとう」
ってびっくりするくらい嬉しい
本当ですよ
次、いつ会うのかな
会うのかな



必然でも偶然でもなく
自然にね


意志は、継ぎたい
理由なんてない

刹那から始まって
刹那で閉じたら

閉じ込められた時空が見えてくるってね


「じゃ、。近いうちに!」
で精いっぱいだ。
ギレゴト、か。

2012年4月4日水曜日

カネとか信頼とか寄付とか

何かモノとかサービスとかに触れるたびに、
これの正当な対価はどのくらいだろうか?
カネだといくら?カネじゃないとしたら?
と考えるようになってさ。

1000円のランチを食べて、
「高いけど、まあ相応にうまいかなあ」
と感じたとして、
その「相応に」ってなんだろかって話でさ。

あきらかに、
「500円のランチの2倍うまいのが1000円のランチです」
ってのは違うよね。

 飯を食いに来て、飯の対価としてカネ払ってるのに、
払ってる中に不純物がいっぱい入ってる。

飯にどんだけの価値があるか
飯以外にどんだけ余分に払っているか
について、適当というか、感覚的というか、考えてもしょうがないというか、、
なんとなあく、「相応か、そうでないか」で払うかどうかを決めてるんだなあと。

渋谷とか都会に出ると、そば一杯食べるにしても、
ヒトモノサービス全てが竜巻のようにぐわーって巻き上げられてぐっちゃぐっちゃになってシステムとか構造とかの原理に着色合成されてモザイク状になって再構成されて、
「ソバイッパイ、ヘイオマチ!」って出てくるイメージなんですよ

だからソバ一杯の本当の価値なんて、わかんね。絶対わかんね

そもそもカネって等価交換のツールだから、価値なんていつだって変わるもので、
それはみんなごく普通に受け入れてる。
マックのハンバーガーが昔は65円だったけど今は100円ってのも、
みんな「デフレも厳しいな」と思うだけ、とか。

でもでもカネって、一応最強の信頼ツールだから、
俺が1000円札に1万円札になれ!!って祈っても、なってくれないし、誰も認めてくれない。

乱暴にいうと、
・日常にあるモノとかサービスとかは、実は価値の判定は一般人はよくわかんね
(プロだって正確にはわかんね?)
・それをきちんと決めてスムーズに等価交換するためにカネがあるけど、それだって相対的なもんで、いくらでも刷れる紙キレ
・「でもカネって尺度は絶対」っていう感覚がある(少なくともぼくには)

「思い出プライスレス」とかあるけど、よく考えたら、世の中全部プライスレスでしょ!


でさでさ、こっからが本題なんだけど(苦笑)、

愛嬌のあるうどん職人のおっさんがいたとして、
そのおっさんが全部手作りしていて、全部原価を把握できているとするね。
「このうどんいっぱいあたり、400円もらえれば、まあぎり大丈夫だ。あとはいくら払うか、おまえさんに任せるわ」
っていわれたときに、いくら払うか。
うどんはめちゃめちゃうまい。東京だと一流店いかないと食えないレベルだとする。

1000円払ったとして、上乗せした600円は、完全に「気持ち」だよね。
「うまかった」「おっさんに共感」「このうどんやの雰囲気好き」とかなんでもいいんけど。
それを600円じゃなくて400円にするか、または0円にするか、って違いは、
食った人の気持の度合いの差かもしれないし、カネの価値観の違いかもしれない。

これはさっきの「渋谷のソバや」とは違うと思うんです。
渋谷のほうは、システムに組み込まれる過程で画一的に決められた値段であって、
食べる人の気持ちなんて関係ないものね。


一対一で直接価値を交換(うどんを食ってカネを払う)するときは、
こういう「気持ち」が結構のってくると思うんすよね。
「きょうはカニが2000円だよ!」
「高いよ!ガキの誕生日なんだ、安くして!」
「おお!あのガキ元気かい?じゃあ1000円でいいよ!これもおまけだもってけどろぼー」
みたいな、適当さw

でもこういう「気持ち」がのった価値の交換って、お互いの信頼があったほうが生まれやすいし、またはこういう行為をへて信頼って生まれていくと思うんですよね。

つきつめれば、物々交換だってそうだよね。
お互いの信頼があって、お互いがそれぞれのものを、だいたいおんなじくらい求めていれば、
もう交換しちゃうし、それでお互い満足。で、またなんかあったらよろしくね、となる。

(気持ちのやりとりってすごいナイーブでめんどくさいから、カネの方がフラットで気遣わなくていいってのはあるけども。)


一応まとめ、

価値を自分で判断して、「いいな」と思った分だけ、対価を出す。
こういう環境ができてくれば、信頼と好感(感謝?)が発現して、価値の交換がぐんぐん好循環になっていくんじゃないかな、と思っていたので、書いてみました。
ふらっと入った店で、
「おっちゃん、うまかったから100円多めにだすよ」とか言えないじゃないですか、今。

で、この「多めに出す」っていう感覚って、寄付と同じ感覚なんじゃないかな、とも思います。
だから寄付が「すげー社会貢献慈善博愛」的なイメージじゃなく、
かるぅい感じで馴染んでいくと、世の中いい感じになると思います(経済的な意味でも)
もう寄付って名前がちょっといやだ。

ちょっと手伝ったかわりに料理つくったる、とかもこういうことだよね。たぶん日頃いつも当たり前のようにしてることー。


現実的な対策とか全然言ってないからあれですが、まあどうでしょうか。
最近考えていることなので、思うことあったら、コメントでも会ったときでもお話できればと。
また長文。駄文。失礼しました。

2012年3月28日水曜日

ジブンゴト

社会のいろんな問題を、貧困で困っている人たちを、
『自分ごと』に考えよう!
というのが流行っていて、
とても素敵な時代だなあと思うけれど


『自分ごと』に
考えなきゃ!考えろよ!考えるべきだよ!
になると、どうもしっくりこない
いいこと言ってるし、その通りだなあとも思うけれど、やっぱりしっくりこない
これは、『ジブンゴト』の独り歩き?
「だってそもそも自分ごとじゃねーし 」
「つうか知らねーし」
これは本当にまっとうな感覚だと思う


「同じ日本人なんだから!」という言い方もしっくりこない
じゃあ、同じ人間として、世界の人たちはいいの?てなる


誰か言ってたっけ、
「今までバングラデシュに何回も足を運んだけれど、現地で友達ができて、初めてあの国を好きになったと気付いた」って



家族、親族、恋人、友人、知人、かどうか、これに尽きる気がする


想像力を働かせるのは大事、
思いやりは想像力から生まれるから、


でも、慈善と独善は紙一重


中身がどっちってことじゃなくて、
はたから、どっちに見えるかってこと



あと、えてして想像は燃えやすいけれどすぐ消えてしまうもの、それはすごく寂しい
でも、独善独善!とだけしか言わない世の中があるとしたら、それもすごく寂しい

(独善か慈善かなんて誰も区別できないよなあ、とも思うしね、)

2012年3月26日月曜日

頭の中


世の中を見下した時点で、誰かから見下されてる。

他人に素敵と思われたいなら、世の中を素敵と思うこと。

とってもシンプルな話


たとえば戦闘力100位中40位の力(40/100)があったとする。
その道を駆け上がって10位になろうとすると、上位層30人を蹴落とさないといけない。

違う戦闘力でも100位中40位の力があってうまく組み合わせられれば、
掛け算で、10000位中1600位。
あれ、簡単に上位1割に近づいた。
蹴落とされる人もいない。自分もニーズがある。
いいことづくし。
もうひとつ組み合わせれば・・・?
有機的な結合が大事。
計算方法あってるかな?

生きるフィールドを見直しちゃえって話

2012年3月22日木曜日

人生について思うこと


1.ぼけーっと穏やかに暮らしたい
2.みんな仲良く楽しく好きなことしてるのをはじっこで見てたい(一応輪の中)
3.うまいもん食って大きく伸びをしてよく寝たい
4.好きな音楽聴いて好きな本読んでそれについて好きな人たちと語りたい
5.孫に、「俺はじいちゃんの意志を継ぐ!」と言わせるように死にきる

2012年3月12日月曜日

3月11日

いい天気。

9時に家を出ると、風が軽い。


電車、盲目の方が、盲導犬と一緒に乗ってくる。
おじさんが席を譲る。
お礼を言って座る。
盲導犬は、他の乗客の邪魔にならないように、彼のすぐ傍に座る。
その前にいたおばさんは、その犬を他の乗客からかばうように、動線がスムーズになるように立ち位置を変える。


渋谷、スクランブル、驚くべき数の、見慣れた、知らない人たち。
遠くで、スピーカーから誰かが叫んでいる。
j-pop かなんかの宣伝トラックが、テンション高く通り過ぎる。


13時、ル・ヴァンという富ヶ谷のパン屋まで渋谷から歩く。
ハンズの脇を抜けたあたりから、人通りが少なくなる。
風の音が聞こえる。
向こうから、野菜ジュースを飲みながら歩いてきた赤い服の女の子が、すれ違いざまに、「っぷはぁ」と息を漏らす。喉が鳴ってコーラを買う。 うまい。


井の頭通り、通りの脇にあった小さな公園で、小さな子供と親のグループが遊んでいる。
欧米系の子供が、一心不乱に絵具をかきまぜている。 


代々木の住宅街、郵便屋さんが、荘厳な邸宅のインターホンを押す。
玄関から、品のよさそうな奥様が出てくる。
「郵便です」「はい、ご苦労様。」
屋敷を越えて道路を覆う、大樹の木陰。
白いセーターに赤いマフラーの、おしゃれな青年が一人、無表情で闊歩していく。


代々木公園のベンチ、買ったパンを食べる。
ずっしりもっちりしていて、「パンってうまいんだな」としみじみと感動する。
BIGFATなアメリカンパパが、5歳くらいの息子以上に無邪気に、ラジコンヘリの操作方法を熱心にティーチングしている。
息子はポカーンとしている。
3歳くらいの女の子は、マイペースに歌を歌っている。


パンがうまい。


パンをぼりぼり食べた食べカスがひざやらシャツやらに散らばっていて、通りすがりの外国人グループに「hey, boy!!」と爆笑される。


14時、少し肌寒くなったので、ベンチをたって歩く。
おじさんが、真剣な面持ちで噴水にカメラを向けている。
誰かが、向こうでギターをかき鳴らしている。
誰も聴いていない。
聴きにいこうかと思って、なんとなく興味が湧かなかったのでやっぱりやめる。


ジョギング中の三人のうちの一人、左足のソールがはがれる。
キンパツが、
「おまえ前もはがれたろ、」
と呆れる。
大ジョブっす、
とソールをはがし、またゆっくりと三人で走り始める。


小柄でスリムなおばあちゃんが、後ろ向きにウォーキングをしている。
オダギリジョー主演の「転々」という映画で、「後ろ向きに歩くと若返るんだよ」ってシーンがあって、それかな、と思う。
顔がほくほくしていてかわいい。


男の子が、ふらふらと楽しそうに、
お母さんは、「ちゃんと走りなさい」と、
少しむすっとして、自転車をこいでいく。




歩きながら、仙台のマンションの近くにあったバーのマスターをふと思い出す。
つけめんならぬ、つけそばみたいなのつくってくれた。
作り方教えてよって聞いても、企業秘密、と教えてくれなかった。
タンカレイは、 「ジンにしてはびっくりするほど上品に」 うまいこと、
バーボンだと、ハーパーが 「安定してちょうどいい濃厚さ」 だとか。
初めて行ったとき、いきなりハートランドをたのんだ俺を見て、「あー、こいつ、やるな」と、ピンときたんだって。
キリンの国産ビールで癖がなくて、ビンに刻印がされてんのが特徴。
いや、かなり適当だったけどね(笑)。


そのマスター、石巻出身で、親族を震災で亡くしたって言ってた。
朝方までずっと一緒に飲んで、かなりいろいろお互い喋ったけど、見せてくれた表情の中でたった一回だけ、俺の知らない類のものが垣間見えた。
怒りとも諦めとも違う、何か。
それはたぶんこれからもわかり得ないものなんだと思う。




代々木公園を出て、渋谷の神南あたり、結婚式のあとかな、幸せに溢れた正装の人たちが、楽しそうに騒いでいる。


東急百貨店の中、 アパレルのきれいなお姉さんが、服をたたんでいるのがエスカレーターから見える。
7階のジュンク堂では、みんな椅子に座って、思い思いの本を読む。


15時半、一冊買って出た後、勉強かな、とも思ったけど、結局帰ることにする。


最寄り駅から自宅までの帰り道、とろとろと歩いているおじいさんが、こじゃれた紙袋を持っている。もしかすると。奥さんへのホワイトデーかもしれないな。
わかんないけど。




時間はとまることはなかったし、 みんな、思い思いに過ごしていた。
思い、思い、一人、一人。


おぼろげな記憶なんだけど、ビートたけしが、


「20000人 の死者・行方不明者がいる」
 ではなく、
「その死・行方不明という現実を突きつけられて、行き場のない、深い悲しみを背負っている家族・親族・恋人・知人がいる。それが20000通りある」
ということなんだ


みたいなことを言っていたのを思い出した。
いや、ちょっと違うかもしんないし、ビートたけしじゃないかもしれない。
けど、なんか、思いだした。


マスターに、手紙を書こうと思う。
「おまえな、頑張れよ、応援してっからな。」って言ってもらったからね。


あー、勉強しよ、勉強。




p.s.


学生最後の春休みに単身ドイツに遊びに行ってる弟が、こんなメール送ってきた。
“May the victims souls rest in peace.”


日本語使えよ、日本人だろ。まあ、ドイツでも追悼してくれる、そういう空気があったのかな。わかんないけど。そうだといいな。
rest in peace.