2013年7月31日水曜日

一寸先の真善美

動体視力も視野の広がりも追いつかずカバーし切れず思考停止してる状況を、
試験勉強を言い訳にして放置、放任してる、
や、言い訳ではないし優先順位は間違ってないはずだけども

自分がしたいこと、いたいとこ、なにでどこかって問いが、
試験に落ちたら…というぬるい絶望感に憑依して視界に現れる。
なんのために今ここでこうしてるのか、
経済面の肉付けは、
どんな骨子に纏うべきか、
どちらも死活的に現実的な問題。
なことは理解しつつ、一寸先は結局ぬるくぼやけてる

どちらも周りの一寸先はぼやけて、足元はぬるく湿っておぼつかない。
でも湿ってるのは乾いてるよりきっといい。

未来を自分で掴む、
なんて大胆不敵なことは自分に限っては思えなくて、
勝手にいろいろやってきて押し寄せるものを感じ取って身を委ねるようなものかなあなんて

言語化された目的意識はどれもこれも後付けで、
それもこれも自分の方角を確かめるための方位磁針みたいなもので、
気づけば自分自身が磁針になってくるくる回ってる

自分にとってしっくりくること、
周りにとってしっくりくること、
善悪でも勝ち負けでもなく、
つまりこういうことかー、ってしっくりくるような、
真なるもの、
をひたすら求めているのかもなあなんて、多分死ぬまでぼんやりぬるく。

だからかなんでか知らんけど、真って名前でよかった。
俺が中1のときに死んだじいちゃんが好きな文字で、両親がそれも汲んでつけてくれた。
真善美の中で一番好き。というよりしっくりくる。
だから自分の名前はいつもここにあって、
でもいつも届かない一寸先のところを漂ってる。

今日も明日もぬるく〜 ぬるさの質感を忘れず大事に〜

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