例えば、
一年前と今とでは、お互いいる場所が違う。
前と同じ感覚で視線を揃えようとしても、
立っているところが違うので、
合わない。
距離、がある。
お互い、一年間巻き戻しをすれば、合う。
でも、その日が終わると、また一年先送りしないといけない。
Uターン。
渋滞。
巻き戻しをしてでも、合わせたい人がいる。
昔一緒にいた、ということをお互いで守る、さりげなく、必死に。
また、そうでないことも、ある。
できることなら今の目線を合わせたい。
昔の視線、今の視線。
重なってるとこはどこか、注視してみるのがいい、のかもしれない。
小学校の友達のお店に3年ぶりに服を買いに行ったのね。
したら運よく店に出てて、おー久しぶり!って。
誰と誰が結婚するだとか、子供だとかなんだとか、
「まーもーそういう年ですからねー28と。」
なんて定番のリアクションをしてみるけど。
5分くらいの高速雑談の中で、3年ぶりの3年の中にいろんな、
みんなの、3年があるわね、そりゃー
「ほー、それ知らない!そうなの今知った!」
って、まあ当たり前なんだけど。
もう一緒じゃなくなって15年たつから、離れてて当たり前で、
住む世間も違うんけど、まあほっとするよね近況知るとさ!
「まじ!あいつうけるー、ってかその扱いひどいでしょwwまいっかww」
「ではまた!体気をつけて!都合つけば同窓会でもまた今度!」
「誰になんと言われたって構わない」
なんて嘘で、
「(あいつとあいつとあいつ以外の)誰になって言われても構わない」
大事な人、数えてみて、両手で数え切れないところで少し安心してやめた。
ところで、いつ最後に会ったっけ?
最後に会ったときから更新されていない。
とりあえず、どの世間でも、等しく、毎日シャッターは切られ続けている。
更新した方がいいかどうか、は別として、
毎日毎日パラパラ漫画のように、スナップは動いていく。
「僕は僕で変わらないよ」と自分でいうこと(思うこと)の恐ろしさ!
毎日いろんな人と。
いろんな人の世間が混ざっていく。
押し出されるように、凝り固まった世間は忘却されていく。
多くのものを得ると同時に、
多くのものを失っているんだろうけど、
そんなことには気づかない。
気付かず、同じ話を、している。
よりどころとか、
見たくないこととか、
信じたいこととか、
好きなもの、
愛すべきもの、
心を動かすもの。
通り過ぎていくもの。
世間の条理を守っているのか、
自分の条理にすがっているのか。
曖昧な世間の境界線は、
自分で勝手に推しはかっているものを、
突き返されてるってだけなのかもしれないなー
なんてこってバングラデシュに行ってまいりやす。
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