2013年6月11日火曜日

とりあえず出だしは演劇のこと

恥ずかしいけども、
ついったのを自分で一部引用。
劇のこと。


昨日の劇のイメージが、一日たって心理に根をはった

ぶつかってきた言葉は既に輪郭をこえて、
色と形は自由を得て、消えてく、生まれてく、飛んでいく

あの子の汗が、目が、目の奥が、その象形は鮮明に焼き付いてる

言葉がその輪郭をこえて色づき始めると、目の前が変わる、がらっと変わる、
その変化は、なんだろう言葉にできないけども



劇のこと、

この一カ月くらいずっと頭に浮かべてる。


劇を見て、自分の心理の根っこの部分がつき動いた経験を何度かしてる。

演出家の価値観とか心理が、役者を通して真実味と現実味を持つからだと思う。

なんでかって、そこに人がいるから、としか言えない。

うまく言葉にできない。


カタカナ語を使うと、シンクロする、て感じかもしれない。




もう一つ最近考えてること、人の争いのこと。


人と人の主張がぶつかったとき、勝つのは理屈が相手より太く長いかどうか。

いいも悪いもない。いろんな理屈がある。


でも、人権の理屈が他の理屈に「負け」たとき、

そのときは、どうでもよくないことになる。


無知を承知でいうと、

日本って人権に対する理屈の積み重ねをする空気が足りないかもしれない。

平和ボケってそういうことかもしれない。

人権が見当違いなフィールドで理屈勝負になって折られてることに気付かない。


人権って、

「人として守られてしかるべきもの」

っつー自明なものというより、

「そう守らないといかんの!なにがなんでも!」

という強靭で頑なな意志のようなものとして捉えるべきかもしれない。

そうやって、いろんな立場の人が、いろんな人権を、進行形でつくってくものかもしれない。

人が人としていられるためには、結構骨の折れる(だれかが折ってる)ことなのかもしれない。




なんとなく、

最近、前眺めてたブログが頭に入ってこない。

ただの理屈のこねまわしはどうでもいい。社会人として一つ上にいく10の方法、とか、どうでもいい。

空気読める人が書いてる空気の読み方とか、「起業」できない人向けの「起業の仕方」とか、「起業の仕方」を読んでる「起業できない人」に対して批判してる「起業した」人(?)の「起業観」とか、

意識高い人が意識高い(笑)人をディスってるのとかもどうでもいい。



それより、きれいでえろいお姉さんのおしゃれ画像みたり、

どっかのオタクの一つの境地に達してる文章とか、読んだりする方がおもしろい。

アキバアイドルでんば組.incとかおもしろい。

勉強中の会計理論だっておもしろい。



いいな、って思ったり、

心理の根っこが動くことになるときって、

その人が何かに真摯に、(傾倒して、)向かってる姿勢と、

その向かってる先が垣間見えたときな気がする。

お姉さん好きだったり、オタクの好みだったり、教授さまだったり、が大好きで肩入れしてしょうがないもの。




ここまで書いて、この文章もさっきディスったつまらない文章になってしまった気がするので、
これにて退散引き上げとします。

演劇と、人の価値観の違いと争いのこと、書きながら組み合わせられるかなと思ったけど、
見事にばらばらになった。

堅実な方向音痴が発揮された。

なんか、


「あなたは何考えてて何やってるの?!いいね!おもしろいね!すごいね!」


っていうのをずっとやってたいだけかも。



なんか。

語彙力。



ぺろぺろ~

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