2013年6月30日日曜日

6月30日


昨日演劇サークルのOBG会に行って、

かわいい子たちと楽しくおしゃべりしてきますた。


気づいたら6個下の代。

大学生は変わらず大学生で、

誰と誰が付き合ってるとか、

入ったばかりの1年生が情熱に溢れてるとか、

熱すぎて泣いちゃったりとか、

どこかで見たような空気。


俺は俺で相変わらずな格好をして、

相変わらずなことを考えてて、

大人というよりは大人気なく。


当時自分らの中にあった、

「ま、俺らクズだし」

みたいな腐った根性というか、

腐った自分らに安堵してるみたいなめんどくささは彼ら彼女らにはなくて、


まともに楽しんで考えてる感、

今の大学生、よっぽど、できるなあと。




この6年、自分にとっては結構大きなこと、

ターニングなんやらがいろいろあったはずなんけど、

成長、という言葉はしっくりこない。

当時とあまり考えてることは変わらない。

つーか何考えてるのか自分でもわからん。

ぐるぐる回ってる。

願わくば、螺旋のようにちょっとずつ変わっていけてればいい。



誰に言われるでもなく、

ぐりーの日記から始まって、みくしーとかブログとか、

8年くらい懲りずにそういうの書いてるのは、

だいたい月一くらいで、自分の中で感覚のしこりみたいのが出てきて

多分それを解消したいからと思う。

新しく出会った人とかこととかものを目の前にしてできるそういうしこり、

違和感のようなもの、逆にしっくりくるもの、を積み上げてく作業。


なんで違和感を感じるのか、なんでしっくりくるのかって、

言葉にできない。

というかまだ言葉が与えられてない。

色とか形、大きさ、質感みたいなものがぼんやりと見える。

自分にしか見えないのに、自分ですら取扱いに困る。

そこに目的はない。



でも、違和感を感じるか、しっくりくるか、大体の行動はこれで決めてるような気もする。



自分の心と仲良くしないといけない。



演劇が好きなのは、

他人の持ってる新鮮な違和感、新鮮なしっくりくるものを、新鮮なままお届けしてもらえるから。

言語の垣根を超えて。もちろん言語も最大限駆使して。

多分。



違和感。

しっくりくるもの。

バランス感覚。

釣り合い。

調和。

不安定なダイナミズム。

慎ましい自分以上のもの。

濁流のような自分の内のもの。

やまけんに教えてもらった城山三郎。

右でも左でもなく、ただただ。


恋ノチカラの深津絵里。

長く使ってるボールペン。

歩き方を教えてくれるジムジャームッシュの映画。

しゃがれ声のトム・ウェイツ。

前のめりな晴れの日。

歩調がにぶる曇りの日。

セロリ。

首筋がせくしーなショートカット。

みかえりびじんの決定的瞬間。

母との会話のシーンを覚えてるナインストーリーズ。

にほんずきの天才ジム・オルーク。

筆。

夜のコーラ。

「どうも」。

フェチズム。

朝のシリアル。

会話の間に生まれる濃い空気。

視線。

赤。

ため息のつき方。

とかとか。

あ、今日で一年の折り返しだ!

2013年6月11日火曜日

とりあえず出だしは演劇のこと

恥ずかしいけども、
ついったのを自分で一部引用。
劇のこと。


昨日の劇のイメージが、一日たって心理に根をはった

ぶつかってきた言葉は既に輪郭をこえて、
色と形は自由を得て、消えてく、生まれてく、飛んでいく

あの子の汗が、目が、目の奥が、その象形は鮮明に焼き付いてる

言葉がその輪郭をこえて色づき始めると、目の前が変わる、がらっと変わる、
その変化は、なんだろう言葉にできないけども



劇のこと、

この一カ月くらいずっと頭に浮かべてる。


劇を見て、自分の心理の根っこの部分がつき動いた経験を何度かしてる。

演出家の価値観とか心理が、役者を通して真実味と現実味を持つからだと思う。

なんでかって、そこに人がいるから、としか言えない。

うまく言葉にできない。


カタカナ語を使うと、シンクロする、て感じかもしれない。




もう一つ最近考えてること、人の争いのこと。


人と人の主張がぶつかったとき、勝つのは理屈が相手より太く長いかどうか。

いいも悪いもない。いろんな理屈がある。


でも、人権の理屈が他の理屈に「負け」たとき、

そのときは、どうでもよくないことになる。


無知を承知でいうと、

日本って人権に対する理屈の積み重ねをする空気が足りないかもしれない。

平和ボケってそういうことかもしれない。

人権が見当違いなフィールドで理屈勝負になって折られてることに気付かない。


人権って、

「人として守られてしかるべきもの」

っつー自明なものというより、

「そう守らないといかんの!なにがなんでも!」

という強靭で頑なな意志のようなものとして捉えるべきかもしれない。

そうやって、いろんな立場の人が、いろんな人権を、進行形でつくってくものかもしれない。

人が人としていられるためには、結構骨の折れる(だれかが折ってる)ことなのかもしれない。




なんとなく、

最近、前眺めてたブログが頭に入ってこない。

ただの理屈のこねまわしはどうでもいい。社会人として一つ上にいく10の方法、とか、どうでもいい。

空気読める人が書いてる空気の読み方とか、「起業」できない人向けの「起業の仕方」とか、「起業の仕方」を読んでる「起業できない人」に対して批判してる「起業した」人(?)の「起業観」とか、

意識高い人が意識高い(笑)人をディスってるのとかもどうでもいい。



それより、きれいでえろいお姉さんのおしゃれ画像みたり、

どっかのオタクの一つの境地に達してる文章とか、読んだりする方がおもしろい。

アキバアイドルでんば組.incとかおもしろい。

勉強中の会計理論だっておもしろい。



いいな、って思ったり、

心理の根っこが動くことになるときって、

その人が何かに真摯に、(傾倒して、)向かってる姿勢と、

その向かってる先が垣間見えたときな気がする。

お姉さん好きだったり、オタクの好みだったり、教授さまだったり、が大好きで肩入れしてしょうがないもの。




ここまで書いて、この文章もさっきディスったつまらない文章になってしまった気がするので、
これにて退散引き上げとします。

演劇と、人の価値観の違いと争いのこと、書きながら組み合わせられるかなと思ったけど、
見事にばらばらになった。

堅実な方向音痴が発揮された。

なんか、


「あなたは何考えてて何やってるの?!いいね!おもしろいね!すごいね!」


っていうのをずっとやってたいだけかも。



なんか。

語彙力。



ぺろぺろ~